2016-04-05

暗号通貨、Blockchain、分権的で分散化された関係性を表現した社会システム

ネタ元:http://blog.skky.jp/entry/2014/09/06/235403

暗号通貨、Blockchain、分権的で分散化された関係性を表現した社会システム

はじめに

アルビン・フトラーの「引き返せない楔」によると、一度パラダイムが変わってしまうと、元のパラダイムには戻れなくなるだろうという考え方があります。

宗教の時代
教会が力を持ち、身分があり、「神の元に還る」ことを良しとする世界観でした。

科学の時代
民主主義により身分は解放され、自由と経済合理性を追求する世界観でした。
この世界観では神は否定せざるを得ず、人間性を排除した自然法則の追求に奔走します。こうなると宗教の時代へは戻れません。

関係性の時代
そうこうしているうちに様々な閉塞感の中から、合理性やお金よりも自分の気持ちを大事にしたいという世界観が現れます。
この世界では帰属と文化が問題となり、人間性を排除して考えられていた科学の時代には戻れません。人は分かり合えないのでしょうか。

やりたい事とやらなければいけない事
関係性の時代、みなさん自分のやりたい事を追求しています。やってる当事者本人は達成感があるのかもしれませんが、端から眺めていると誰も幸せになっていないように思えます。
この体験から、「やりたい事」ではなく、「やらなければいけない事」を追求することが幸福度に好影響をあたえるのではないかと気づきます。

自助、共助、公助のはざまで
自ら(家族含む)の命は自らが守る活動、隣人が互いに助け合って地域を守る活動、治安・消防・ライフラインを支える各企業による活動。
個人(企業)・地域・行政の役割を表す基本的な考え方で、EU統合の際のマーストリヒト条約に謳われている「補完性の原則」を表す概念です。
日本でも江戸時代の米沢藩で自助、互助、扶助を定めていました。概念は同じです。
このように、住民、地域、行政の関係性は、時代や地域に限らず共通性がみられます。

IT投資の評価
IT導入に大量の資本が投入されました。まず、テクノロジーはハコモノとして導入されます。箱を売った後、中身が無いことに気づきサービス導入が進められました。消えゆくテクノロジーに振り回され、エンドユーザーも企業も疲弊します。このプロセスは果たして効果のある投資だったのでしょうか?

社会の諸問題
「貧困の連鎖」がすべての問題の根源という結論に至ります。(要根拠)
社会資本の関係性が断絶された子供の貧困問題を解決できれば、
100年後には貧困の大部分は解消されるのではないでしょうか。

これらの「パラダイム」と「関係性」を表現し、誰もが疲弊せず幸福感に満ちた社会システムは作れないでしょうか?

現代において価値を表現しているお金の性質を考えます。
・当事者同士でそれ自体に価値があることが認められる
・モノとお互いに交換可能である
・価値を留めておける

貧困は(表現が思いつかないのであえて) 誤った価値観により生み出されます。
この誤った価値観とは、お金の性質の3番目、価値保存性の誤解です。
「信用」に基づいた「借金」、無から生まれ、複利で増える「利息」。ゼロサムゲームにすらならない現在の経済システムは、ラットレースです。経済成長著しい間は「努力」と「信用」によって 利息を上回る速度で「富」が築かれます。「努力」は尊いことですが、「富」は権力の表現となり、人間心理を擽ります。この価値保全性の誤解により、「富」が一部の層に溜め込まれます(ゼロサムゲームですらないのに!)。この「努力」を価値ある方向に使えないでしょうか?
(要説明)

なお、「信用」を担保する「アイデンティティ」。これについては、いま求めている分権的で分散化された関係性で表現する方法に思い当たりません。当面は「権威」に頼り、迷走を続けることになります。

さりとて、ナカモトサトシ氏によるBitcoinテクノロジーBlockchainや暗号技術コミュニティからのゼロ知識証明により、デジタルに「実用的な価値」を表現する事ができるようになりました。
今や実用に耐える程度にはピースが揃っていると考えられます。

Blockchain により開けられたパンドラの箱。そこから出てくるであろう希望に想いを馳せます。